留日60年記念大会

陳水扁総統閣下、李登輝前総統閣下

お祝いの言葉



陳 水 扁 総統

李 登 輝 前総統



陳水扁総統 お祝いの書

 


李登輝前総統  お祝いの言葉

  留日60周年を記念して訪日し、念願の卒業証明書や感謝状を手にされる台湾高座会の皆様に、心からお祝いを申し上げます。おめでとうございます。

  第二次世界大戦勃発から二年経過した1943年、日本は向学心に燃える台湾の小、中学生を対象に、働きながら勉強すれば旧制中学や専門学校を卒業する制度を作り、不足していた優秀な労働力の不足を補おうとしました。数多くの心身共に秀れた台湾青少年が応募し、厳しい選抜試験を突破した8400名余が、神奈川県高座郡に新設された海軍空C廠(高座海軍工廠の前身)に赴きました。
  彼らは、昼夜兼行で懸命に働き、戦闘機「雷電」、「ゼロ戦」、「紫電」、「月光」など当時の日本海軍の主力機を殆ど手がけました。そして、ひたむきに働く過程で、共に働く本土の日本人との間に、深い信頼関係、共感と友情を築き上げました。

  戦局は日々に苛烈となり、本土へ赴いた青少年の中にも、少なからぬ者がその犠牲となりました。そして1945年8月15日、戦争は日本の敗戦で幕を閉じ、高座へ赴いた台湾青少年は異国籍者となって台湾へ帰ることになりました。その時、私は台湾高座会の皆様と同じ帰還船「米山丸」に乗合わせたのです。私は、あの時の経験をまだ鮮明に覚えています。

  帰国されてからも、台湾高座会の皆さんは、厳しい環境の中で鍛えた規律と精神力、習得した高い技術力を活かし、まず郷土の復興に励み、次いで世界が驚嘆する台湾の工業化に、夫々の分野で貢献されました。私はそれを非常に高く評価しております。

  一方、帰国後の私は、京都大学で専攻していた農業経済を更に深めたいと考えました。農業経済の進化こそ台湾を豊にし、中国を貧しさから救う唯一の手段だと考えていたからです。二度にわたりアメリカに留学したのもその為です.
  アメリカのコーネル大学で農業経済学の博士号を取得して帰国した私は、一貫して農業経済の分野で働いて参りました。台湾の農業発展には、些か寄与したと自負しております。その後の経過は、皆様よくご承知のところであります。私は今、私の持つ農業経済の知識と経験を、更に中国大陸の農業経営に活かしてみたいとさえ、考えています。

  このようにあの「米山丸」で共に帰国して以来、私たちは働く分野こそ違え、自分たちの祖国や郷土のために、共に働いて参りましたが、皆様と私には、他にも共通点があります。それは共に抱く、日本への深い連帯感です。
  多くの心の通う日本の友人を私も持っていますが、台湾高座会の皆様も、高座を機縁とする極めて多くの日本人と深い心の繋がりを持っています。今日、台湾と日本は同じ価値観を持つ友邦として、お互いがお互いを必要としています。台湾高座会は、現在台湾と日本をつなぐ絆のうちで、質量ともに最大のものではないかと私は考えています。

  この連帯関係が、今回の訪日によって更に強められることを、心から願っています。台湾高座会歓迎大会実行委員会の皆様には、折角のご招待を受けながら国内の優先すべき行事のため、訪日できないことをお詫び申し上げ、私の心からのご挨拶と致します。

                                       2003年10月20日


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