60年目の卒業証書

留日60周年記念大会にて



 留日60周年を記念して、平成15年10月20日に、座間市立市民文化会館(ハーモニーホール座間)に台湾から元少年工600人、日本の関係者を合わせると1,000人余が参集され、記念大会が盛大に開催されました。

 この大会では、日本の政府当局から1,200人に対し、念願の卒業証明書、並びに、在籍証明書が交付されました。この大会のために、台湾から、陳水扁総統閣下と李登輝前総統閣下が、異例とも言えるメッセージを寄せられました。

 大会では、最初に海軍高座工廠での生活、激務、望郷の念をうたい上げた会歌「故郷を離れて」を合唱、最後には早川金次郎氏を始め教官であった方々に感謝を籠めて「仰げば尊し」を合唱された。

台湾高座会記念大会

座間市立市民文化会館

受理した証明書を高々と掲げる

台湾高座会の地区代表



    

    

 

高座海軍工廠の時代に、台湾少年工の方々が、 人生の師と仰ぐ人は、早川金次氏をおいて無いで しょう。戦没した部下の身を思い、戦災で失った 自宅がまだ再建されてもいないのに、善徳寺柳沢 住職の協力を得て、慰霊碑の建立に尽力され、幾 度と無く台湾の遺族を見舞われました。早川さん のこの無私の努力こそ、今日大きな流れなった日 台交流の源なのです。

        仰げば尊し

一、仰げば尊し わが師の恩
   教えの庭にも はや いくとせ
   おもえば いと疾し このとし月
   いまこそ わかれめ いぎさらば

二、互いに むつみし 日ごろの恩
   わかるる後にも やよ わするな
   身をたて 名をあげ やよはげめよ
   いまこそ わかれめ いぎさらば

三、朝ゆう なれにし まなびの窓
   ほたるのともし火 つむ白雪
   わするる まぞなき ゆくとし月
   いまこそ わかれめ いぎさらば

 

歓迎と感謝の辞

作家 阿川 弘之

 古稀を過ぎた台湾少年工の皆さん、よくいらっしゃいました。此の度は おめでたうございますと申し上げたいのですが、五十八年おくれで「在職 証明書」「卒業証明書」を受け取る皆さん方の御心境は、ほんたうのところ、 中々複雑なものであらうかと存じます。

  にも拘らず、証書授与式のあと、皆さん方一同、「仰げば尊し」を合唱な さりたい御意向と聞いて、多くの日本人が深い感銘を受けました。私の知 人、友人の幾人かは、そのことを話しながら涙を流してをりました。それ は、一つには、今尚昔の日本をなつかしく思って下さる皆さんの、謙虚なお気持への感謝の涙で あり、二つには、あの苦しく険しかった時代にも、日本人のやさしい一面を失はず、親切な、あ たたかい態度で、皆さん方へ数学や英語や製図の手はどきをした高座海軍工廠の、工員養成所の 教官、教員をはじめ、よき上司や同僚がゐたと知っての、感動の涙です。

  大会当日は、私たちも「仰げば尊し」を歌ひます。それは、あなた方への感謝の気持をこめて 歌ふのです。今や、私どもの方が、「日本人、もっとしっかりしなさい。日本の心を、本ものの大 和魂を取り戻して、大切にしなくてはいけません」と、台湾の人々から教へてもらふ時代なので す。その意味でも、よくぞ来て我々の心に灯をともして下さいました。有難う、有難う。大会終 了後、どうかゆっくり日本滞在を楽しんで下さるやう願ってやみません。

 

 

日本人の気概とは

経済評論家 鈴木幸夫

 久しぶりに「仰げば尊し」の合唱を聞いた。10月20日、神奈川県座間市の市民 文化会館で開かれた「台湾高座会留日六十周年歓迎大会」でのことだ。当日会場 を埋めた千人近くの参加者は、声の限りに3番まで歌った。そうち台湾から参 加した600人の男たちにとっては、まさに「卒業式」だったのである。

  昔、海軍工廠には見習工制度があった。小学校(国民学校)高等科の修了者 から厳しい選抜試験で採用し、一定期間学業と実地作業を習得させ、旧制中等学 校卒業者と同等扱いにする制度だ。筆者も敗戦間近、横須賀海軍工廠で艦艇設計 の末端の仕事をしていたので、見習工の優秀さは熟知している。

  昭和18年、神奈川県高座郡に高座海軍工廠が設置され、台湾から大量の見習工 を募集、選抜試験を経て8400余人が採用された。

  敗色濃いさなか、作業は苛酷。空襲の犠牲者も少なからず。しかも敗戦後はた ちまち異国籍扱い。台湾に帰れば、国民党政権下で徹底した日本色払拭で逆境 を強いられた。それでも日本で培った知識や技術、不屈の精神力で、台湾の工業 化に懸命に寄与した。

  彼らはいまだに日本を第2の故郷と思い続け、「心の祖国」と短歌に歌う人さ えいる。70歳代前半から喜寿を超す人もいる旧少年工の共通の願いは、工員養成 所見習科の卒業証明書と軍属の在職証明書の受領だった。

  それこそ彼らの少年期の生きざまを示すアイデンティティー証明なのだ。それ が多くの紆余曲折を経て、60年後やっと実現したのである。彼らを親身に世話し た上司たちも偉かった。なかでも戦災で失った自宅の再建よりも戦没少年工の慰 霊碑建立に私財をはたき、台湾の遺族を見舞い続けた海軍技手早川金次氏は人生 の師だと旧少年工たちは言う。

  「仰げば尊し」の大合唱には、その師への思いが寵っている。李登輝前総統は、 新渡戸稲造の「武士道」こそ日本精神の精髄だと力説する。旧少年工たちも「日 本人らしい気概を持て」と励ましてくれる。複雑な気持ちだが、しかし心洗われ る秋の一刻だった。



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