早川金次郎技手

少年工慰霊碑建立



 1963年(昭和35年)、彼らの教官だった海軍技手の早川金次郎氏は、大戦末期の空襲で犠牲となった台湾少年工の霊を慰めるため、自宅の再建よりも、その慰霊塔の建立を優先された。 又、遠く台湾を訪問して遺族を慰問された。

その話は、蒋介石総統の国民党による戒厳令の下でも台湾に伝わり、瞬時に全島に広がりました。

「日本はまだ我々を忘れていない」と誰もが思ったと言います。

慰霊塔は大和市善徳寺に柳沢住職の協力を得て建立されました。



早川金次郎技手

少年工慰霊碑

 

台湾高座会訪問団に囲まれる (4 6 ’01)
善徳寺柳沢住職(二列目 中央)



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