山谷えり子 「家庭、教育、国なおし」


講演会(平成十六年四月十一日)より

戦後の宿題を片づけるために

 私はもともと新聞記者なんです(元『サンケイリビング新聞』編集長)。新聞記者として介護や育児の問題など、読者の声を国会や政府に届けているうちに、国会議員になったらどうかと勧められて、平成十二年に衆議院議員になりました。

 初めのうちは新聞記者が議員になれるのかしら、と不安でした。でも、朝、五時に起きて子供たちのお弁当を作り、満員電車を乗り継いで、だれよりも早く出勤していました。やらなければいけないことが、たくさん出てきたのです。まず最初は教育問題でした。



 

山谷えりこ