国旗 「日の丸」、 国歌 「君が代」



国旗 「日の丸」

日の丸

国民の祝祭日には各戸で国旗「日の丸」を掲げましょう。

市も、市の施設も、市議会も、企業も、国民も、祝祭日には「日の丸」を掲げましょう。


国旗”日の丸”の表わすもの

 ”天地の初発の時、高天原(たかあまはら)に成りませる神は天之御中主神”と古事記にあります。
天之御中主神は身を隠し給える本源の神です。その神から一切のものが分かれて出てきました。高天原も、淤能碁呂島(おのころじま=地球)も、大八島國も、八百万の神も、私達人間も、動物も、植物も、一切この”天之御中主神”から分かれて出てきました。
高天原で一番尊い神様は天照大御神ですが、この神様は”天之御中主神”の最も尊い現われです。私たちは天照大神から命を頂いていますが、その本源は”天之御中主神”の生命、み言葉です。

 日本国土の精神を宿して生まれてきた日本民族は、本来は皆一つである、一円相であるという事を直感により知っていました。そして日本民族は、国土も国家も国民も「全てを一つにまとめる心」を持ち、国号を「やまと」としました。日本の国旗が”日の丸”であるという事も、この一円相の自覚の自ずからなる表現でした。

 日本民族は常に暗黒を見ないで光明面に振り向きます。日の大神・天照大御神を国祖神として、「清明心」を大切にし、「邪(きたな)き心」に対する語は「清き明るき心」と称した。どこまでも、「清きこと」、「明るきこと」を尊ぶ精神の日本民族の自然な象徴化が”日の丸”になりました。

 「清き明るき心」を尊び、「全て一つだ」という愛の精神が形に現われたのが”日の丸”であります。

 

   ”日の丸”の”赤”は、天照大御神を表わす。
                中心に常に尊崇し帰一すべき、命の本源の日の大神を表わす。
                一切を包容し、全てを一つにまとめる心を表わす。
                中心をおろがむ、真っ直ぐな赤き(衷心からの)誠心を表す。
                尊きもの、大切なもの、真心などを、中心において見立てる心を表わす。

   ”日の丸”の”白”は、清き心、明るき心、どこまでも素直に光明面に振り向く心を表わす。
                喜びを重ね、光を重ねる心を表わす。

 

国家とは、国土、領土、国民、統治機構の合体したものである。

国土(Native Land)と領土(teritory)とは異なる。

国土は、その民族がそこで発祥した母体である。日本の国土は、日本民族がそこで孕まれ、且つ生まれた母の胎とも言うべきものである。国土の生命と、我々自身の生命とは一体である。

領土は、その国が所有権をもっている限りの面積を包合する土地と、その沿岸の海域の領土権行使の領域、及び、領空域を言う。

 


広島県日教組の「日の丸」の見かた、考え方

日本の息吹平成17年4月号 「広島教育再生への道」 亀井郁夫参議院議員の記事によると、広島県日教組と部落開放同盟の活動家の影響により、広島では「日の丸の白は日本が侵略戦争で殺したアジアの人々の骨の白で、赤丸は流した血の赤だ」と言うような教育が堂々と行われていました。

とんでもない事です。

そう言う目でしか物事を見ることの出来ない「邪き心」の、かわいそうな人達です。日本人としての誇りの持てない、日本人にあるまじき心の持ち主です。日本の正しい姿を理解する事ができず、中国共産党のプロパガンダ、工作指令を、そのまま無批判にオーム返しして日本転覆を画策する、「邪き心」の人達の言葉です。



日本の本当姿は、清く、明るく、暖かく、天皇陛下を中心として一家族としてまと
まっている、美しき日本であるのに、この人達は何を見ているのでしょうか。




国歌 「君が代」


  歌詞

一.君が代は 千代に八千代に
   さざれ石の 巌となりて こけの むすまで

二.君が代は 千尋の底の
   さざれ石の 鵜のいる磯と あらはるるまで

三.君が代は 限りもあらじ
   長浜の  真砂の数は  よみつくすとも


  楽譜

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